にほんブログ村 芸能ブログ HKT48へ
にほんブログ村

ミニコラム③~津久井やまゆり園殺人事件から一年~

差別をなくしたいという言葉はきれいごとなのだろうか?

 一年前、朝起きてテレビをつけ愕然とした。神奈川県相模原市に位置する障碍者施設津久井やまゆり園の様子を映し出していた。その時点では何人の命が奪われたか具体的な人数はわからなかったが、複数人が死傷したことを報じるテレビ画面の向こう側の様子から、事件の重大さが伝わってきた。テレビでその報道を見た時、誇張ではなく「スッ」と頬に涙がつたったのを覚えている。一夜のうちに行われた非情な殺人の現実を直視できなかった。

 犯人の植松聖被告は一夜にして19人もの施設入所者を殺害した。「障碍者は不幸の元なのだ」。植松被告が言い放った言葉である。植松被告は事件前に「世界が平和になりますように beautiful Japan」とSNSに投稿した。植松被告の中で想像される世界平和には障碍者は入ってなかったらしい。一部の人を排除する平和が平和と呼べるのか?非常に安直な思考からくる世界平和である。

 今回の事件が他の事件と比べて特異なのは、被害者の実名が一部を除いて公表されていない点だ。警察庁は事件の大きさに加え、遺族への差別などを考慮して被害者の実名を公表しない方針を示している。これは裁判においても同様であり、横浜地裁は被害者匿名で公判をする方針を固めた。遺族への配慮という点はわかる。しかし家族以外に世間に知られることがなく19人の命がこの世から消えたのである。名もなき人が19人死んだという認識で本当によいのだろうか?その点には疑問が残る。しかし現実的な問題として、被害者の名前を公表すれば、遺族への要らぬ差別・関心が向くことは目に見えている。愛する人を失ってなお傷つきたくない。その気持ちは私たち第三者には推し量ることができないことなのであろう。

差別をなくしたいという言葉はきれいごとなのだろうか?私はそれをもう一度問いたい。

 

度々駄文をすみません‥